NFTアートについては、厳しい批判を書いてきましたが、これがおそらく最後のエントリかつ完結編になるとおもいます。
取り上げたいのは、村上隆のNFTへの関わり方です。
現在村上隆はOpen Seaなどを通じて、自身の「お花」や「自画像」といったモチーフをつかったキャラをNFTとして販売しています。
https://opensea.io/Takashipomkaikaikiki
現時点で87個のキャラを持っていて、販売しているようですが、目をみはるのは、その価格です。
一番高いものをさがすと、これなんですが、みてください。
オークション形式になっていますが、現時点での最高値の入札は、120ETHの値段がついています。
120ETHですから、4800万円です。
すんごいです。
ま、これだけみたら、もーあからさまな金儲けにしかみえないのですが、ところがどっこい、流石の村上というか、もうこれでNFTアートの論争に終止符がうたれたんじゃないかと思っています。
その理由を3つ上げて解説したいとおもいます。
- 前回のNFT販売を取り下げたこと
2. キャラビジネスというモデルを見極めたこと
3. アートではなく、ビジネスをしていること
前回のNFT販売を取り下げたこと
村上隆は2001年の春先にもいちどNFTの販売をアナウンスしたことがあります。
これがその時のもので、村上のシグネチャーである「お花」のキャラを、NFT風のドット絵にして販売するというものです。
ま、正直これをみたときは、やっちゃったなーと思いました。発想がチープですし、やろうとしていることはアート作品をNFTとしてデジタル販売するという、いわゆる”NFTアート”のありきたりなやり方です。私がブログでさんざん批判したやりかたそのものですね。
村上が賢明なのは、これを販売前にみずから取り下げて仕切りなおししたことです。その理由は明かされてませんが(私がしらないだけかもしれないけど)、勝手に推測するに、アートとしての詰めが甘いというのは頭に引っかかっていて、それに加えて、村上がNFTに許諾したい権利と、Open Seaの利用規約になんらかの相容れない部分があって、村上の考えが実現できないことがわかったからではないかと推測しています。
キャラビジネスというモデルを見極めたこと
さて、そのあと仕切りなおして出てきたのが冒頭で紹介したキャラものです。RTFKTスタジオというところとの協業で、2万個のNFTアバターを作成、村上はキャラのデザインの一部を担当(お花などのモチーフの提供?)したそうです。つまり、アートを販売するのではなく、キャラデザイナーとしての立場として参画しました[1]。その2万個のうちの一部が、村上のOpen Seaで売られているということのようです。
いままでのNFTアートの問題点として、結局なにが取引されているのか、なんの権利が購入者にあるのかがはっきりせず、(投資家はそんなことは気にしていないのですが)結果として、たんなるマネーゲームとてのユースケースだけが存在しました。
NFT界隈もそうした批判には飽き飽きしたのか、より実用的なユースケースを探し始めます。そこで、急激にゲームやメタバース界隈との結びつきを強めていき、そちらにビジネス機会を見出しました。
いまNFT界隈のシノギは、メタバース(ゲーム)でつかう自分のアバターを売るというものになりました。NFT所有者は、メタバース内で画像を自分のアバターとして使っていいよという権利を得るという立て付けになっています。
これは、よく考えられた落とし込みだとおもいます。何を売っているのかわからない「ふわっとしたアート」という批判をかわして、あくまでアバターの「使用権」をNFT化しているのだと。そして、メタバースのブームにもしっかり歩調を合わせている。
このNFTクリプト界隈のひとの金儲けというか、金脈探しの嗅覚には脱帽というしかありません。悪い意味で天才ですわ。メタバースが臭うとなれば、アートは捨てる。もはやNFT界隈はアートではなく、メタバースに方向転換しています。
アートの新時代だ、NFTだ!ということで盛り上がっていた美術業界のみなさん。もうNFTアートは下火というか、話題にならないですよ、見捨てられてますよ・・・。そういうもんです。界隈の金儲けに利用されただけなんですよ。(私の言ったとおりになったでしょう)
で、村上は、NFTをアート作品として発表することをとりさげ、NFTの詐欺師連中から利用されることを寸前のところで回避しました。
そして、メタバースでのアバタービジネスという、いわゆるキャラビジネス、そういうビジネスモデルが見えてきたところで、黎明期のうちに自分のキャラをぶっこんできたのです。これ、たしかに将来高値がつきますよ。
もう、さすがとしか言いようがありません。
ビジネスマンとして一流ではないでしょうか。
アートではなく、ビジネスをしていること
これ、アバター販売ビジネスですから、アートとは全然関係ありません。もともと村上は食玩を販売したり、キャラグッツを販売したり、アートではないものの、自身のキャラを活かしたキャラクタービジネスをもともと手がけていました。
今回のアバター販売もその延長と考えられ、あくまで純粋なアート作品とは別のものでしょう。そう、自身のアートの評価をさげないためにも、たんにキャラビジネスのところだけでNFTに関わったというのも、すばらしいリスクマネジメント感覚です。
ようするにアーティストとしては、NFTをアート作品として発表するのではなく、普通のキャラビジネスとしてやれば、とくに問題はないのです。アバターなんかは、むしろ高値がつけばつくほど、すげー、ということになり、NFTアートが下手な値段をつけて批判をくらうのとは逆の現象となります。
もういっかい最初のキャラの画像を引用します。
これが4800万円のアバター。
いやスゴイですわ。
アバター販売ビジネスでいくら儲けようと、元々のアーティストとしての評価にはあまり影響はないとおもいます。
NFTアートではなく、あくまでNFTアバター。決してアートとは言わない。アバターですと。
むしろ、アバターという、ポケモンカードコレクションと同じレベルに敢えて落としてしまうことが肝で、アバターが今後いくら値上がろうと、あくまでアバターコレクターの世界の話ですから、価格はあってないもの、正当化しうるばかりか、値上がれば値上がるほど、さすが村上ということで泊までつくのです。
恐れいりました。
アバターは軒並み高値で売れているようですので、ざっとみても何億円にもなりそうですね。村上は、映画製作にカネをツッコミすぎて、破産寸前だと以前嘆いていました。アバターで儲かったお金で、ぜひ念願の映画の制作を再開してほしいと個人的にも期待しています。
まとめ
i. NFTへのアーティストとしての関わり方の正解は、アートをNFT化するのではなく、単に普通にビジネスすればよかった。
ii. アート界隈はもはやNFTの魑魅魍魎たちにとって主要な市場ではなく、主戦場はメタバースにもう移った(早っ)。NFTで盛り上がっていたアート関係者のみなさんご愁傷さま。
iii. 村上はやはり天才ではないか
以上です。
<参照>
[1]村上隆がRTFKTスタジオとコラボNFTを制作、2万体の3Dキャラクターを発表 https://www.fashionsnap.com/article/2021-11-02/takashimurakami-rtfkt/
<注記>
#あえて敬称は略させていただきました。
#私もすべて詳細に状況を把握しているわけではないので、事実誤認があればご指摘ください。
なお、あくまでこのエントリは私の考察です。村上氏の考えとのズレがあっても当然であり、あくまで、私からみた分析ということです。誤解なきよう。
#一方でNFTをメディア特性から真面目にメディア・アートとして昇華させるという藤幡正樹氏のようなアプローチもあります。こっちは玄人むけすぎて渋すぎますが、アートとしてのNFTをお探しならこちらはおすすめです。
(関連エントリ)初めて”本物の”NFTの作品を購入しましたので紹介します https://bigstone.medium.com/bought-the-genuine-nft-art-ed53345681d7