オミクロン株見通しについて

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久しぶりのコロナ関係の更新になります。今回はオミクロン株の見通しについてです。

見通しといっても、世界中でとんでもない勢いで増えており、見通しもへったくれもあったもんじゃありません。米国で一日100万人の感染者とか、100万人ですよ、一日。3日で倍のペースで増えているとか、ハチャメチャな数字です。

よく比較されるインフルエンザの流行状況ですが、昨年から今年にかけてのシーズンでは、下記をみてわかるようにほぼゼロといってよいです。

インフルですら完全に押さえ込めているなかで、数日で倍増ペースで感染者が増えるオミクロン株は人知を超えている感染力だということがわかります。

これを抑えこむことはもう現実的でないと思います。感染力を考えると広範囲が濃厚接触になりますし、感染者が増えるなかでは濃厚接触者だらけで、それらを把握するのも隔離するのも不可能です。いずれ感染者数もそんな状況になるでしょう。

このような中、再び厳しい感染抑制策、つまり飲食店の営業停止や、接触者の隔離などを行っても、効果は限定的でしょう。その割にはコスト(経済損失)が大きいので、一律の再導入には反対です。個々人の判断に委ねるべきでしょう。

マスクは効果があり、とくにコストにはならないので(経済損失はないので)、引き続き着用すべきとおもいます。

封じ込めから、現段階の最適解へ

私は封じ込めが最適解であることをいままで主張していました。

元々封じ込めの意義はなんだかったというと、治療薬もワクチンもない状態での裸の戦いを避けるためでした。封じ込めで時間稼ぎをしている間に、ワクチンや、治療法を確立させ、圏内で経済を回す。これが人命と経済を両立させる最適解でした。

封じ込め国は大成功を収めました。死者は圧倒的に少なく、経済も好況で、その間にワクチン接種も進んだからです。

封じ込めの意義に立ち返ると、大国の妨害などでワクチンが手に入りにくい国などの事情がありますが、もう打ちたい人は打ったという状況になりました。つまり、一定の武器は揃ったといえ、封じ込めの役割は終えたと認識しています。

それぞれの国で進捗にばらつきはあるものの、概ね封じ込めの今までの成果を吉として、政策を転換するタイミングになったと理解していています。

本当は3回め接種と経口薬の配備まで封じ込めるのがベストですが、それが揃うの相当な先です。日本ですら、ワクチンは頑張って春先。経口薬は、(とくにファイザーは)生産が追いつかないのでまわってくるのは今年の終盤になってからと予想されます。流石にそのような長い期間、オミクロンを押さえ込めるとは思えません。中国のように強権的な方法で封じ込めを継続すると、社会不安につながりかねないおもいます。

見通しを1段落で述べます

米国や英国を見る限り、最終的には人口の数人に1人といったレベルで、オミクロンに感染するでしょう。

医療的にはすでにICUが満員のようですが、原因はワクチン非接種の割合で、それらひとがオミクロンで重症化して病床を埋めています。そのため、通常の手術などもできないという医療崩壊状況にいたっていますが、これはウイルスのせいというより、ワクチンを敬遠してきたひとびとによって起こされた人災といってもよいものでしょう。とはいえ、自発的非ワクチン接種層が感染後に免疫を持つ結果となります。つまり、生きのびている人はすべからず免疫をもつ状態になる、集団免疫です。これにより、オミクロン波は一巡すると考えられます

一方ワクチンが未だ普及してない途上国では、オミクロンを裸で受けることになります。弱毒傾向とはいえ、感染者数が膨大になりますので、トータルでの死亡者は過去最大を記録するのも間違いなさそうです。これも多大な犠牲者をだして一巡するでしょう。

その次は予想が難しいですが、おそらくこれで終わりではないでしょうか。感染力がつよく、感染するひとはほぼ感染してしまうからです。

ただ、免疫はいずれ低下しますから、今後もくすぶり流行は局所的に繰り返すことになります。しかしその都度医療が対処するということになり、国境も開かれていくというのが今年のシナリオです。

リスペクトをもった言葉遣いを

コロナは風邪、インフル程度という言葉がよく使われるようです。

私ももう封じ込めは主張してませんし、これ以上の行動制限は費用対効果は低いとおもっているのは同意します。

コロナで疲れているのは私も一緒です。うんざりしていますが、私は言葉遣いは気をつけるようにしています。

たとえば、インフルエンザは世界で一番人を殺している感染症です。(Netfliexでインフルエンザと戦う番組がやっているのでぜひ見てください。認識変わります。)みんなインフルを甘く見過ぎで、先進国で人が死なないのは医療関係者と衛生当局の必死の努力のおかげです。そうした事情を知らずに、インフル程度、という言葉づかいをするのは、敬意に欠けるのではないでしょうか。

インフル程度ではなく、「他の感染症と同じく対処する(できる)疾患」と私は表現するようにしています。また、他の感染症と同じく対処する疾患になったあとも、依然やっかいな疾患として今後10年以上にわたり医療関係者は対処を迫られるのは間違いありません。そうした事への想像を働かせて行きたいと私は思っております。

また、コロナは風邪系のひとは、はじめからコロナは風邪であり、弱毒であり、はじめからなんの対策も必要なかったとストーリーを捏造しはじめています。

さすがに、もしワクチンも治療薬もなにも存在しない状態で、なんら感染対策をせず、感染を広げていたら、多大な人的被害が起きていたというのは、ファクトに基づいたコンセンサスではないでしょうか。

文明国と権威主義の間で

風邪派は、ワクチンがない状況においても、自分たちの利益(自分たちは若く死ににくいから自由に活動したい)を押し通そうとしました。ワクチンがないということは自衛手段がないわけで、弱い人にとっては選択肢が一切ないということです。そういう状況で感染を広げるのは文明国のやることではないでしょう。

すべてはタイミングです。未知のウイルス、ノーワクチン、ノー治療薬のときには最も弱い人に歩調をあわせるのが文明国です。一方、希望者には接種が行き渡っている状況では、敢えて打たない層の医療圧迫に配慮して行動制限するのは国家の統制が入りすぎです。

私は、非文明国も、権威国家もいやです。健全な自由主義者でありたい。

今後もコロナにかんしては健全な自由主義者というスタンスで参ります。

なんか見通しというよりスタンスの表明になってしまい恐縮ですが、いまのところそんな感じです。

以上です。

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