美術関係者、アーティスト、コレクターの皆さんへ。NFTの真実についてブロックチェーン専門家から一言いわせてください。

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NFTの現況については目に余るものがあるので、しぶしぶながら書きます。

私は仮想通貨、ブロックチェーン周りは2013年からやっており、日本でも有数の専門家と自負しております。同時にアートコレクターとしても、12年以上にわたり500点以上の作品を集めており素人ではありません。

ブロックチェーンとアート、この2つをちゃんと理解している人は日本には数少ないと思います[注2]。その立場からのしぶしぶながらの発信ということをご理解ください。

3つの点をお話しようとおもいます。

まず、現状のNFTはアートとして成立していない点。次に、NFTが単なるパチンコ台である点、最後にアート関係者が詐欺に巻き込まれようとしている点について話します。

注)文中、詐欺・詐欺師という言葉を使っていますがが、かならずしも刑法上の詐欺行為のことではなく、モラルに欠け、悪意をもって金儲けを企む反社会的な行為という意味で使っています。ご理解の上、解釈ください。

NFTはアートとして成立していない

現状のNFTはいかなる意味でもアートとして成立していません。アートとイラストレーションの境目の一つとして、ステートメント(コンテクスト)があるかという判断基準があります[注3]。

NFTのアートにはその大事なステートメントがありません。

よく引き合いにだされるデュシャンの泉という作品があります。これは市販の男性用便器に作家がサインをしただけの作品で、レディ・メイドという手法の創始かつ、現代美術の始まりといわれています。

マルセイ・デュシャン「泉」(1917)

作家がモノを作る必要すらない、市販品ですらよい、美術とはなにかをつきつめれば、作家が何を考えてどういう意味付けをするかである、という主張です。それを男性用便器にプレゼンとして凝縮させました。そこには美術は何かを根源から問うようなステートメントがあります。

ウォーホールも同様で、いままで美術のモチーフとならなかった大衆的なイメージを描きました。キャンベルスープや、ドルマークなど、なんら美的な要素を含まないそこらへんにあるものを描くことで、美術の価値を問い直したということです。

アンディ・ウォーホル「キャンベル・スープ」

デュシャンやウォーホールを引き合いにしてNFTのアート性が語られることがありますがデタラメです。NFTアーティストからは美術的なステートメントが発信されていることはありません。あるのはただのドット絵であり、岩の絵であり、酷い場合は他人のJPGの盗作物です。

NFTの石の絵

美術家の中には、ネットに落ちてるただのJPGを拾ってきて作品としてる作家も実はいます。ドット絵っぽい絵を書く人もいます。だから作品の外見では、似ていることもあるかもしれません。ですが、それらの作家は、なぜそれがアートたるのかを説明するステートメントを持って作品をつくっています。NFTにはなぜそれが美術足るのかというステートメントがありりません。ですから、アートとして成立してないのです。

なお、アートとして成立していなくても、コレクション価値があるものは存在します。たとえばポケモンカードやスニーカーは、アートではありませんが、取引がされており、熱心なコレクターもいます。レアポケモンカードは1億円以上の価値がつくこともあるようですが、それはポケモンカードコレクターのなかでの貴重性や文脈があって、そういう意味で1億円の価値があるとみとめられたのでしょう。

世界に3枚しか存在しない初期のポケモンカード。およそ1億円で売買された。

NFTとして初めて売られたドット絵は、1億円で取引されているかもしれませんが、アートとしての価値が1億円なのではなく、あくまでNFTコレクターのなかでの価値が1億円なのであることに気をつけてください。NFTをの歴史の最初のものに1億円支払うひとが居てもおかしなことではありません。ナイキの最初のジョーダンモデルと一緒です。

まとめます。繰り返しになりますが、NFTにはコレクション性があり、取引があり、高価な値段が付いているものがあることは、おかしなことではありません。ただ、コレクティブであることと、それがアートか否かは別の議論です。

NFTはパチンコ台の大量供給である

次に、仮想通貨業界の歴史をみてみます。

さきほどNFTはコレクティブになり得るといいましたが、現状では99.99%のひとは、NFTをコレクションとして購入していません。単なる投機です。次に誰かが高くかうかも知れないから買う。最後に買った奴がババを引く。グレーターフールと呼ばれる理論です。

こうしたグレーターフールをカモる投機商品は、仮想通貨の歴史のなかで数多く生み出されました。

古くはアルトコインです。しかしアルトコインは作るのが面倒なため下火になり、4年ほど前に流行ったのがICOと呼ばれる手法です。

これは実際にコインをつくらなくても、ホワイトペーパーなる目論見書だけで資金を集めるものです。多くのプロジェクトが資金をあつめただけで、プロダクトを作成せず、そのまま持ち逃げしました。持ち逃げがなかったプロジェクトでも、実際に約束された機能が実現されたものはごく少数で、将来の機能追加を約束した無機能のコインが売買されました。

しかし愚かな投機家はそれでギャンブルできれば満足で、機能が追加されるかどうかには無関心でした。投機家に取って値動きがある何かがあればよいのです。

当然そんな仕組みは規制されます。政府によってICOの仕組みはお取り潰しにあいました。その後数年間、仮想通貨市場は低迷します。ギャンブルが減ったからです。

それでもカネを儲けたいひと投機家にとっては、何かてっとり早く取引できるものが必要です。

その愚かな需要を数年ぶりに満たしたのがNFTの登場だったのです。(とDefiでした)。

NFTは、アルトコインよりも、一度に大量かつ多様なプロダクトを提供できます。初期のドット絵も柄が異なるものが1万枚供給されました。

パチンコ屋に客が朝早くから並ぶ風景を思いだしてみてください。新規改装を待ちわびる客が、開店と同時に、一斉に新台に群がります。NFTは、パチンコ台と一緒です。パチンコ北斗の拳やら、パチンコエヴァンゲリオンみたいなのが、ひとつひとつのNFTにあたります。

一度に100とか200とかのイメージが供給されるNFTは、新台が100も200も1万も並んでいるという、心躍るようなパチ環境になります。同じタイプの台でもパチンコでいうところの微妙な釘の調整が何百種類もあり、どれが当たるかいろいろ回して見たくなる衝動にかられます。

沢山供給されるバリエーションは、釘の調整に相当する

これに愚かな投機家が夢中にならないわけがありません。事実、投機家をとりこにし、中毒にしています。

当然愚かな投機家をカモっているのはNFTの発行者です。彼らはアーティストでもなんでもなく、自称アーティストの詐欺師です。NFTの画像は、クラウドソーシングでウクライナあたりのイラストレーターに一枚5ドルで発注して、それをNFTとしてプレミア100枚とかで売りにだします。NFTでは購入者の身元があかされないので、複数アカウントをつかって自己売買して値段を釣り上げます。そこで引っかかった愚かな投機家が間違ってそのNFTを購入したら丸儲けです。これがNFTの一般的な構造です。

さらに悪いことに、投機家も、それが単なるババ抜きであることを承知で参加しています。自分は最後のババをぬかない自信があり、それを投資の才能であると自負しているのです。

投機家はNFTの内容が何であるかに一切の1ミリの興味はなく、石のイラストだろうが、小学生の落書きだろうが、他人の盗作物であろうが、値段がついて転売できれば満足です。

こうした状況を、ナイーブにもNFTがオークションのように取引されており、一部がアーティストにも還元されるという幻想をみてしまっている人がいます。美術関係者です。その話をします。

美術関係者が詐欺に巻き込まれようとしている

NFT市場の実体は、詐欺師によるパチンコ台の大量供給にすぎないNFTマーケットですが、あたかも実際のアートが自由活発に取引されてアーティストへの還元もある夢のプラットフォームであると幻を見ているひとが、美術関係者です。

なぜそうなってしまうのかというと、彼らはブロックチェーンの知識はおろかIT知識がほとんどないからです。

あらゆる業界のなかでも美術業界はIT・デジタル化の最もおくれた業界です。いまだに、ネットでの美術品販売は有りかなしかみたいな議論をしているようなことすらあります。悪口になるようなことは言いたくないのですが、客観的にみて業界全体としてのITリテラシーは低く、デジタル化はおくれているのは間違いありません。そして、遅れているという危機感はみんな持っているのですが、何をしてよいのかはわかっているひとはほとんどいません。

そうしたなかで、NFTのような現象がおこると、単純にいって焦ります。ただですら、おくれているという自覚があるところに、従来のアート業界とは関係ないところから市場への参入がおきて、それが何億円というレベルで盛り上がっているのですから、このままでは、自分たちの業界が危うくなってしまうのではないかという危機感を感じるのです。

ですが、当然ブロックチェーンやNFTの知識はありませんし、説明しても理解できない人が大半です。とはいえ焦りがあります。なにかやらないといけません。

結果、詐欺師にだまされます。というか、詐欺に巻き込まれます。具体的には詐欺師が立ち上げたプラットフォームに作品を提供してしまったり、詐欺師と一緒にプロジェクトを企画してしまったりします。

美術関係者にはブロックチェーン技術者はピカピカの人物に見え、詐欺師であるかは区別がつきようもありません。

教訓は実際に存在します。数年前、IT企業の間でブロックチェーンがブームだったころも同じようなことが起きました。必ずしも理解が深くなかった企業が、焦りからプロジェクトを立ち上げたのですが、詐欺師と組んでしまったり、講演に詐欺師を呼んで対談してしまったりと恥をかいて、今となっては、すべて無かったことにしたいと思っている企業は沢山あります。

アーティストのみなさんへ

著名なアーティスト界隈では、寸前のところでNFTの発行をとりやめた賢明なアーティストもいましたがが、今後は、へんなことに巻き込まれてしまうケースもでてくるとおもいます。

とくに、アーティストにおかれましては、詐欺師と組んで、今のマーケットでNFTの発行をすることは、アーティストとしての経歴に汚点を残しかねませんことを添えておきます。これは私の愛するアーティストのみなさんが道を踏み外さないようにというお節介です。

美術関係者におかれましては、NFTアーティストといわれているひとはアートとして成立するテートメントをもたず全員が金儲けのための詐欺師であること、市場は愚かなる投機家のギャンブルニーズを満たすだけのパチンコ台供給でしかないこと、この2つの事実を頭によくよくいれておいてください。

とりわけ現状の投機家がアートの内容については一切の興味がないという事実はアーティストにとってはハートブロークンでしょう。転売行為を嫌うアーティストが多い中、転売だけの目的の市場に自分の表現の結晶である作品を投入されないでください。

なお、NFTやブロックチェーンという技術には応用可能性があります。それを否定するものではありません。新たなメディアがでてくれば、それを使った新しい表現が生まれるものです。

古くは、写真やビデオ、最近ではAIやVRなどもメディアとしてアーティストに利用されています。そうした新メディアとしてNFTやブロックチェーンの特性(あくまでメディアとしての特性)を利用することは表現としてまっとうな方向性かとおもいます。

アーティストが技術への理解度を今後深めて、ちゃんと作品として成立し、経歴を汚ささない良質のブロックチェーンやNFTを活用したアートを作られることを希望します。

その際には私のコレクションとしても購入させていただきたくおもいます。

⇒続編もかきましたので良かったらどうぞ

注2)なお私は所謂イーサリアムやブロックチェーン分野の人ではなくビットコイナーですが、タイトルではそのあたりの細かい区別が難しい関係者にクリックしてもらうことを優先するため、あえてより一般的なブロックチェーン専門家という言葉を使いましたことをお断りしておきます。

注3)なお、ステートメントの有無の話は単純化していることはお知りおきください。私は経験のあるアートコレクターですから、アート表現の多様性が進み他の領域もクロスオーバーしている現状はよく知っています。また特にステートメントがなくても、技法や構成、引用などから成立しているアートも一般的です。そこは込み入った事柄なのでここでは書ききれません。ただし断言できるのは、NFTで見る絵は、ほんとうに箸にも棒にもかからないので、それらを論じるまでもないということです。

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