石丸氏は浮動票のプールである

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ここ数日のSNSは、石丸現象をどう分析するか一色だったといっても過言ではない。私もずっと捉えかねていたが、ようやく腹におちる解釈がみつかったので、まとめておこうとおもう。

結論からいうと、石丸氏は、若年層を中心とした浮動票の「プール」であるということだ。

どういうことかをこれから簡潔に書いていく。

初めの私の石丸氏に対する印象は、多くの人と同じものだった。あの話し方、受け答え、態度。中身の乏しい具体性のない政策。

どうしてこの人に投票した?若者は大丈夫なのか?

こうしたことをXでつぶやいたら、あなたも老害というリプをいくつも頂いた。

「僕らは真剣に石丸氏を選んだ」

という。

このギャップに、SNSの僕らの世代は、動揺し、解釈を見いだせなかった。

多くのSNSの論評は、彼の態度に関すること、中身の乏しい政策についてに終始している。

政治家なんだからやりたいことに具体性をもってほしい、でないと判断できない。

僕は気づいた。そうじゃない、やりたいことに具体性を持ってほしい、それを思うのが老害なのかもしれない。

若者は、動画を通じて石丸氏の知られざる良い性格面を知っているわけでもなく、政策一覧にはでてこない意図を汲み取ったのではない。

僕らの世代に見える、あのままの石丸氏に投票したのだ。むしろ、あれだからこそ、投票したのだと、いまでは確信している。

その話をしよう。

石丸氏は、既存勢力とすべて距離をおいている。これは出自ふくめて、多くのひとが解説しているとおり。

右派でもなければ、国粋的な色は全く出さない。

かといって、左派ではなく、蓮舫の最大の対抗馬だった。

では、自由主義路線、つまり規制緩和や自由競争といった路線を模索するかというと、そうは見えないようにしている。維新の党からも距離をとった。

どの正当とも距離を起き、ときにはケンカをする。マスコミとは徹底的に戦う。そのときには、石丸論法なるものをつかって、論破というかやり込める。

これではなんの生産性も無いと思われるが、それで良いのだ。

石丸氏は、既存のすべての政治的な思想から離れて存在を、あの態度をもって「ハッキリ」示したから、票を得たのだ。ハッキリしめすには、むしろあの石丸論法しかない。明確に伝わる。

つまり、結論に戻ろう、

彼という存在自体が、浮動票、そのものなのだ。

浮動票が選択したのではない、浮動票そのものなのだ。

浮動という思想を体現し、具体化したのが、石丸氏なのである。

いままでの浮動票は、何らかの具体的な政策がある候補を支持することで、意思を見せてきたと言える。それが左派に流れることによって、左派が「既存の政治にNO」がついたというように勢いづいてきた。

しかし、若者はもはや左派も支持していない。カウンターとしての左派に投票したら、いいように意見を捻じ曲げられて使われるからだ。

若者は、右派にも左派にも、自由主義にも投票したくない。

かといって、無投票、白紙投票は、影響力を持たない。

だから、石丸氏に投票するのだ。

まだ、日本は、今後どういう方向に向くのかどうかはわからない。若者も決めかねているというのが本音だとおもう。

方向性がでて、若者の意見の受け皿となる政党がでてきたら、そのときにあらためてそれに投票すればよい。

でも、それまでのあいだ、とうぶんの間、自分たちの票をためておく「プール」。それが、石丸氏の存在なのだ。

ゼロ知識証明という暗号の魔法がある。

これは、自分がある何かを持っていることを、その何かの場所や具体的な情報を一切明かさずに、でも、確かにそれを持っていることを証明できるという手法だ。

若者は、この魔法をつかった。

日本(東京)の将来の方向性を保留にしつつ、ただ、白紙や無投票で透明になるものでもなく、自分たちが票をもっている、浮動票の存在というものだけを、既存の政党をどれも有利にすることなく、示したのだ。

浮動票の可視化。プール。

これは選挙における革命的な発明かもしれないし、 日本の若者の気持ちも表していると思う。

そのためには、あの態度、具体的な政策が見えない石丸氏でなければいけなかったし、そうだから、投票したのである。

こう分析すると、すべてが納得行くし、整合性が取れてくる。

若者は馬鹿ではなかった。

浮動票プールである石丸氏に投票することで、 蓮舫ほか左派を勘違いさせずに、 世間にへんなメッセージを送らず、 その上で、自分たちの票田のポテンシャル価値、浮動票の存在だけを抜き出して示した。

若者は、魔法を使ったのだ。

となると、石丸氏の次も読めてくる。仮にかれがどこかの政党と連携したり公認をえたり、または政策を具体化していくとなると、どうなるか?

おそらく若者の票を失うだろう。プールとしての機能をうしない、若者はそんな石丸氏に投票することで、スタンスを明確にする必要にせまられるからだ。それは、まだ早い。

彼はそういう意味でいずれ消えいく存在だろう。若者の意思が固まるまでのプールだからだ。そして、僕らには、まだそのプールが必要だ。

奇しくも石丸氏は、成田氏との対談のなかで、政治家としてのビジョンを聞かれたとき、日本の人口動態は崖のようになっているから、なんとかする策を作るまでの時間稼ぎをしたい、というようなこと言っていた。

そのビジョンの通りだ。

僕らは石丸氏に投票することで、時間を得ることができる。

若者にも、日本にも、もう少し時間が必要なのだ。

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