歴代トップ10価格のNFTアートをプロの美術コレクターがガチで評価してみたところ、こんな結果になりましたのでお伝えします

昨日書いたエントリの反響の大きさにはびっくりしています。とりわけ私の文章独特のレトリックや、敢えて断定表現を使っている点など、ちゃんと文脈を理解してくれている反応が多いのには感謝です(普段はそこが理解されずクソリプばかりになる)

さて、今回は続編的なエントリとして、歴代NFTの価格TOP10の作品についてとりあげてみたいとおもいます。

これらのNFTに美術的な価値があるのかどうか、また仮にNFTではなくリアルなギャラリーにおいてガチのアート作品として販売されていたとしたら、およそ幾らの値段だろうかというのを評価してみることにします。

# 私は13年にわたり500点以上の現代美術作品をコレクションしているシリアスなコレクターです。収蔵作品は公立美術館への貸出歴などもあり、自称コレクターではございません。

Beeple、お前はもう死んでいる

価格1位、約70億円。クリスティーズという最も権威のあるオークション会社でのオークションに出されて落札された作品です。

作者の5000日に渡る日常記録をコラージュしたものだそうです。まず、こうした日常の記録を扱うというモチーフは良く使われている題材で、違和感はありません。それを5000枚あつめてコラージュするというのも労作ですし、コラージュという技法は古典的であり作法に則っています。画面構成も悪くなく、素人がこの作品を作ることは無理で、Beepleの作家としての素養は一定以上であるのは間違いありません。

$69,346,250.00 (17,379.446 ETH)

この作品が仮に非常に大きなサイズ(2.5mx2.5mとか)のパネルになっていれば、かなり見栄えがしそうです。仮にギャラリーで発表されていたとすると、新人作家のデビュー作だが強気の価格設定をすれば、およそ400–500万円くらいの値付けになるとおもいます。過去に発表歴もない新人作家としてはそのくらいが値付けの上限でしょうか。

しかしながら、落札額70億円というのはどう考えても正当化はできません。裏でつながっている代理人による自己落札の可能性も拭いきれません。作品の価値とはかけ離れたオークションを執り行ったクリスティーズは、その権威に糞のドロを塗ったと思います。適正なエスティメイトや、オークション運営がされてない疑いが持たれます。NFTがらみで信用を失う典型例として悪い前例となりました。

次に、Beepleのアーティストのキャリアはすでに詰んでいるという指摘をします。

アーティストのほとんどは最終的に美術史に名前をのこすために活動していると思います。そのためには、生涯にわたり、作品を作り続けて発表しつづける必要があります。一つの作品がどうのではなく、作家活動で生み出された多くの作品による総体が評価の対象となります。

そういう観点から最初に70億円の値段がついてしまうと、活動の幅が制限されます。今後の作品を世界中のコレクターや美術館に買ってもらおうにも、大幅に値引きして売るのでしょうか。次回は数百万円で作品をうるのでしょうか。70億で買った人から恨まれ殺されませんか?作家としてはもう手詰まりになってますよね。

Beepleは最初の作品ですでに自殺をしたのです。

作品には一定の評価をしましたが、ずば抜けているわけではありません。結局、Beepleは無数に存在する消えたアーティストの一人として忘れ去られると予測します。クリスティーズに塗られたの糞のドロと一緒に便器に流されるのではないでしょうか。クリーンナップ業社が待ってます。

評価:400–500万円

$8,874,049.12 (2,224 ETH)

エドワード・スノーデン、ババ抜き代表

価格2位、9億円。

米国家安全保障局(NSA)の大量監視が法律違反であるとする画期的な判決の全文と、内部告発者の象徴的な肖像であるプラトンの作品を組み合わせたもの。だそうです。スノーデンのサインつき。

スノーデンの活動とからめた判決文のレディメイド的な引用や、それをつかって肖像にするなど、最低限アートになりそうな要素は押さえていると思いますが、レベルは低く、ありきたりです。

またスノーデンは作家ではなく、アート作品を継続して作るひとではありません。作家として継続的な活動が見込めないひとは、たとえ有名人であっても作品価値は低く見積もられます。評価としては、有名人のサイン入りグッズの範疇であると思います。

有名人のサイン入りグッツが法外な価格で落札されることは過去にも多くおきています。どういう時でしょうか?

それはチャリティーオークションですね。スノーデンの活動資金源としてお金を寄付する。9億円の寄付です。作品価値が9億ではなく、スノーデンに9億円をあげたかったのですね。それであれば何億であろうが寄付者の考え次第です。

ただですね、たぶんこれを買った人は寄付ではなくガチで9億円払っている可能性がありますね。今後この作品は、美術的な価値もコレクティブとしての価値も向上しません。それに転売されて価格が上った分はスノーデン氏への寄付にはなりません。ババ抜きの代表例だとおもいます。

評価:寄付金。お気持ち

クリプト・パンクス 、パチンコ台代表

価格2位タイ。モノによるが最高値がついたものは8−9億円。

クリプト・パンクスはいわゆるNFTアートとして最初に発表されたものだといわれています。約4年前から存在し、1万種類の顔が作成されました。NFTの実験的なプロジェクトだったようです。

まず絵の評価ですが、イラストレーションとしての質は悪くないとおもいます。少ないピクセルで多様な表情の顔をつくっており、その粗さの加減や色使いも良く、十分素養があるひとが作成していることは間違いなさそうです。

さて、クリプトパンクスをみて、業界に造詣があるひとなら、ある既存の作家が真っ先に頭に浮かびます。その作品を紹介しましょう。これです。

Hollyweed (Red pot) 2018, silkscreen print

フランスのインベーダーという人の作品です。(ま、クリプトパンクスはこれのパクリです)

普通にみたらインベーダー氏の作品もタダのドット絵にしか見えません。どこが美術なのかさっぱりわからないとおもいますので、美術たりうる理由を3点解説しておきます。

まずモチーフです。基本はポップですが、コンピュータゲーム、それも初期のドットの荒いものから引用しているという引用の絶妙さがあります。題材として目新しく、新規性がありました。だれがみてもこれはインベーダーの作品だと分かる個性があります。

2点目は技法です。コンピュータのドットというデジタル由来のものを、アナログ絵画として忠実に壁やキャンバスに再現したり、セラミックのタイルをピクセルに見立てて並べて作られたものもあります。既にあるものを別のマテリアルで作り直すというシミュレーショニズム的な文脈があり、そこにデジタルとアナログを行き来するという視点が加わります。

3点目は活動様式です。街なかの公共の壁に書くというストリートアートという様式に則って活動しています。バンクシーと同じですね。世界中のストリートに作品を残しており、ストリートアートの流れのなかでちゃんと自分を位置づけています。

Atom (2015), paint on wall at Shibuya.

インベーダー氏の作品から読み取れる美術要素を3つ上げました。これらがあることによって、インベーダー氏の作品は、単なるドット絵ではなく美術作品であると評価することができます。(上記の3点は私の解釈です。他にも読み取る視点は複数あると思います)

さて、クリプトパンクスですが、要はインベーダーのパクリです。パクリとわかって信者はショックだろうとおもいますが、事実ですね。

それに、別にコピーはコピーでもよいのですが、劣化コピーです。表現的に二番煎じになっている上に、コンピュータの由来のドット絵をコンピュータで再現してしまっておりメディアの変換やシミュレーショニズムといった要素が欠けています。またストリートアートとしての活動もしていません。

結論として、クリプトパンクスはインベーダーをパクったイラストを沢山つくってNFTに乗せてみたよという草コイン以上のものは見いだせないとおもいます。

もちろん、前回のエントリでも書いたように、ポケモンカードのようなコレクティブとして人気があることは否定しません(でもパクリですが)。NFTの歴史の最初であるというナラティブがあり、イラスト数も1万と多いため取引マーケットも他のNFTより流動性があります。まさに多様なパチンコ台の代表格です。人々が飽きない内に早く売り抜けようね。

評価:パクリ。ポケモンカード。

fewocious、ゴミ代表

価格10位、3億円。

最後に、箸にも棒にも掛からないものを取り上げます。fewociousというひとのようです。

ド下手な美大生が書いた絵のように見えます。才能のない美大生のアトリエにはこんな絵がたくさん転がっています。箸にも棒にもかからないというのはこのことをいうのでしょう。

価値ですか?そうですね、1000円でも買うひとがいるかどうか。審美眼が少しでもあるアートコレクターであれば一瞥もしないでしょう。

$2,838,640.00 (711.415 ETH)

まあ、NFTの大半というかほぼ全てがこのレベルです。頑張って書いているんだからNFTアートを馬鹿にするなという意見も多いですが、こんな素人レベルの絵では馬鹿にするなといわれても、言葉に詰まってしまいます。無視するしか無くなりますよぉ。

評価:ゴミ。100円。

まとめ

4つのNFTアートを批評しましたが、まあ、だんだん馬鹿馬鹿しくなってきました。

そもそもNFTアートのレベルが低すぎで、まともに批評する行為が滑稽にすら見えます。私はその滑稽なことをわざとやっているわけですが、身を呈して記事を書き、読み手が滑稽だと感じてくれることによって、私のNFT批判が完結するのです。レトリックの一種です。

このエントリをお読みになったプロの美術関係者やアーティストであれば、NFTアートを真面目に取り上げて論ずることが時間のムダであり、滑稽であり、ヘタすると批評者の価値すら下げかねないというのは、一目瞭然でしょう。

NFTアートは、詐欺師の最新のシノギであり、投機家のババ抜きゲームです。真面目に取り合う対象ではありません。

以上です。

おまけ。

Violet Ether | Anime NFT #001

Raribleで「anime」検索してでてきたものです。イラストです。

マネタイズとしてファンにあとで恨まれない程度の節度をもってやればいいのではないでしょうか・・・。損をしたひとから刺されたりして、刑事事件とかに発展しないようにね。

以下注記

# Top10は、cryptoart.ioを参照しました。画像もそこから引用してます。

# 本エントリで言う美術・アートとは、いわゆる現代美術、ハイアートのことを指し、大衆芸能やエンタメとは評価基準が異なることに注意ください。

#当方ですが、コレクション総数500点以上。公的美術館への作品貸出などあります。名が知れてないときにコレクションしたアーティストが、後に森美術館で展示されたり、日産アワードなどの大賞を取ったり、大手ギャラリーの専属になったりということは多々あります。それらは自慢することでもなんでもないのですが、美術コレクターといっても怪しいという意見もあるため、しぶしぶ実績として書いておきます。

#近年ストリートアートの作品において(NFTの狂乱とくらべたらたいへんかわいいレベルであるものの)投機筋の見え隠れがあって、NFTを馬鹿にできない嫌な感じがあることはちゃんと付け加えておきます。

#ストリートアートは歴史的にはハイアートとみなされていませんでしたがバンクシー氏がハイアートの文脈との接続に成功し、現在ではハイアートとして捉えられているストリート作品が数多く存在します。もちろんストリートに絵をかけば自動的にハイアートになるわけでは有りません。

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